私は長年、ゴミ屋敷の清掃に従事する特殊清掃員として、数多くの壮絶な現場を見てきました。中でも心が痛むのは、そこに子供が住んでいた形跡を見つけた時です。ゴミの山の中から、使い古されたボロボロの教科書や、カビの生えたぬいぐるみが現れるたび、この凄惨な環境で小さな命が必死に生きていたことに胸が締め付けられます。ある現場では、3LDKのマンションの全室が天井までゴミで埋まっており、唯一、リビングの中央に1畳ほどのスペースが開いていました。そこには小さな毛布と、コンビニ弁当の空き殻が散乱し、子供がそこで寝起きしていたことが一目で分かりました。風呂場は物置きと化し、水回りには何年も使われた形跡がなく、トイレも溢れかえっていました。このような極限の環境下での育児は、もはや生活の体を成しておらず、完全なネグレクトです。保護者は仕事に追われ、あるいは精神を病み、次第にゴミを捨てることができなくなったと言います。最初は小さな散らかりだったものが、雪だるま式に膨れ上がり、いつの間にか自力ではどうしようもないモンスターとなって家族を飲み込んでしまったのです。私たちが作業を行う際、子供たちは遠くから不安そうな、それでいてどこかホッとしたような表情で私たちの様子を眺めています。ゴミを1袋ずつ運び出し、床が見え、部屋に風が通り抜けるようになった時、彼らは初めて深い溜息をつきます。清掃は物理的な環境をリセットするだけでなく、そこに住む人の閉ざされた心を開放する儀式でもあると感じます。しかし、私たちの仕事はあくまで一時的なものです。ゴミを片付けた後に、誰がその家族を支え続けるのか、再発を防ぐための福祉的なフォローアップがどれだけ機能しているのか、常に懸念が残ります。ゴミ屋敷は現代社会の孤独の象徴です。1つの家族がゴミに埋もれる前に、誰かが手を差し伸べられる社会であってほしいと、作業着に染み付いた臭いを落としながら、私は切に願わずにはいられません。